くらげさろん

とびっきりの台詞を探しています。映画はやっぱり劇場で観たい!こんな作品を観てきましたよっていう映画感想ブログです。ネタバレあり。

『だれもが愛しいチャンピオン』【映画感想・ネタバレ・見どころ・名台詞】

普通って何?『だれもが愛しいチャンピオン』

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(c)Rey de Babia AIE,Peliculas Pendelton SA,MorenaFilms SL,Telefonica Audiovisual SLU,RTVE

短気で負けず嫌いなマルコは、プロバスケットボールチームのサブコーチ。

ヘッドコーチと意見が合わず解雇され、やけ酒の末に飲酒運転でパトカーに追突。

判事から社会奉仕活動を命じられ、知的障害者チーム”アミーゴス”を指導することに。

だがバスケの実力以前に、メンバーの自由奔放さに当惑する。

今まで接点のなかった彼らと出会ったことで、マルコの人生が変わり始める…。

原題 "Campeones"

"CAMPEONES"とはスペイン語でチャンピオンたち。

実在するチームに着想を得たスポーツコメディ。

チームメンバーは実際に障害を持つ600名からオーディションで選ばれた10名。

ゴヤ賞(スペイン・アカデミー賞)3部門(作品賞/新人男優賞/オリジナル歌曲賞)受賞。

 
映画『だれもが愛しいチャンピオン』予告編

見どころ

勝敗についこだわってしまうけれど、ただひたすら純粋に、精いっぱいやってきた自分たちの成果を喜べるのはいいものだなと。スポーツにはそういった側面があったこと思い出させてくれる

マルコはどこにでもいそうな中年男性。障害者に対しては言葉として認識している程度で無関心。コーチの仕事も3か月の辛抱、こなせばいいやと考えていた。妻とは別居中。実家に居候の身。

差別表現を変えれば、差別はなくなっていくのか?

冒頭、差別の実態を端的に示すやりとりがある。マルコは同居する母親に、知的障害者のバスケ指導をすることになったと報告する。

「知恵遅れ」はダメだけど「知的障害者」は差別用語ではないんだよ。でもついこの間まで知恵遅れの日があって小銭を恵んでいたよね。ねえ「ゲイ」って昔、何て言ったっけ。「オカマ」でしょ。母、息子の頬を引っぱたく。なんてことを言うんだろうねえ、この子は。親の顔が見たいよ。

そっちは鈍感なのに、そっちはこだわるのかい。ひたすら軽い二人のやり取りに、笑っていいのか一瞬躊躇い、でも恐る恐る笑ってしまう。無意識裡の差別というのは、それが通常の状態になってしまっているということだ。自覚なき差別は巷に溢れている取り扱いが難しいテーマをコミカルに提示することで、難なく観客に違和感や疑問を抱かせることに成功しているよくできた滑り出しだと思う。

実際のところ差別表現を変えることにはどのくらい効果があるのだろう言葉いじりに走れば『サウス・パーク』のポリティカル・コレクトネスの回のようになってしまう。P.C.校長いたなあ。表面だけ取り繕っても個々の意識が変化しなければ何も変わらない。マルコたちのように結局は他人事、無関心なのだ。だが無意識に持っていた差別意識を、言葉を示すことで顕在化させるという面はあるのだろう。

個性豊かなメンバー

アミーゴスのメンバーをマルコは最初「障害者」として一括りにしているが、次第に一対一の個人として向き合っていく。それぞれの抱える事情や背景を知ることで、無関心だったものが急に立体となってマルコの世界で立ち上がり動き出す感じか。


映画『だれもが愛しいチャンピオン』キャラクター紹介映像

そもそも「障害者」「健常者」の違いとは何だろうかもちろんできることできないことがあるから区別はあって当然だ。だが一方の健常者は飲酒運転で事故を起こし、一方の障害者はバイクで無事故無違反である。

メンバーはオーディションで選ばれ、当て書きされており、個性豊かな面々が生き生きとしている。ちなみに紹介映像を補足すると紅一点コジャンデスのあだ名はキンタマバエ。蠅のようなディフェンスで相手に貼りつき、とどめにキックをお見舞いするから…。

アミーゴスのメンバーに親近感を抱き始める一方で、公共のバス移動で健常者から向けられる思いやりのない視線や言葉を身を持って経験することも。

指導にも熱が入る。パスもまともにできなかったメンバーも上達していく。とうとう全国大会出場のため、キャンピングカーで各地へ。

気に入った台詞

別居中の奥さんソニアも手伝ってくれる。元女優のソニアは、美人で気立てもよい。

夫婦仲がなぜこじれてしまったかというと、ソニアが子供を欲しがるから。40才過ぎての妊娠は障害を持つ確率が高い、とマルコは二の足を踏む。その会話をメンバーのマリンに聞かれてしまう。マリンは言う。

「誰だって、僕たちだって障害を持つ子は欲しくない。でもコーチみたいな父親が欲しい」

ガツンときた。もうこの一言だけで、他にどんな瑕疵があっても作品として成立するなと思う強い台詞。

 

あらすじを追いかけながら、あといくつかの台詞を。

全国大会の決勝は開催地が島。キャンピングカーでは辿り着けない。諦めかけたところ、とんでもない解決方法を編み出す。メンバーのペニートは皿洗いの仕事でこき使われていて、試合の日も休ませてもらえなかった。マルコ夫婦が警官の振りをしてペニートの勤め先のレストランに査察に入る。ソニアは元女優だからね。悪徳雇用者は障害者を雇うことで儲けていたのだけれど、指導方々ちょいと取引して交通費宿泊費を捻出!

決勝の相手チームはエナニトス(小人)だから楽勝、かと思いきやなんと巨人がぞろぞろ登場。接戦の末、最後アミーゴスが放った超ロングシュートスローで軌道が描かれるから――これが入ったらご都合的過ぎやしないか、でも入ってほしい。でも…とぐるぐる――。超ロングシュートのブザービーターは現実では結構あるみたいでドラマチックと思うのだけれど。フィクションでそれをやると興醒めするのはなぜ。で、結局どうなったかというと、外れた。でしょうねー、と思いきや次の瞬間。

「私たち2位だー!」

メンバーみんなめちゃくちゃ喜んでる。そして両チーム抱き合って健闘を称える。

そうなんだよなあ、スポーツってこういう側面があったよね。改めて目を開かされたというか。スポーツや勝敗がつくものでは、いつしか当たり前に頂上を目指してしまって、つい準優勝の悔しさばかりにフォーカスしてしまう。けれど純粋に自分たちの成し遂げたことに喜び、胸を張れるというのはいいものだなとしみじみ思った。そしてこのとき障害者のドラマという意識はなくて、純粋にスポ根映画を楽しんでいたことに気付いた。これは新鮮な感覚だった。

ラスト、マルコは夢だったスペイン代表チームのサブコーチの仕事に就くことになる。仲間になったメンバーに指導を終えることを切り出すことができず、体育館を後にする。追いかけてきたメンバーたちは爽やかにマルコを送り出す。マリンが声を掛ける。

「マリン(僕)よりサブマリン(潜水艦)の方がカッコいいよ」

自分で書いておいてなんですが、1月に観てからだいぶ時間が経っていて、若干意味が分からない。なんでサブマリンなんだっけ。でも手帳にメモってたから書いておく。

備忘録

  • ラスト近くのエレベーターのシーンなどいらない部分はあった気もするけれど、「コーチみたいな父親が欲しい」というあの強力な台詞一つでも成立したと思える本作。スペイン映画はいつもあまり合わないのだけれど、いろいろ考えさせられたり、笑いの配分もちょうどよかった。
「マルコは問題があるがよくやっている」
  • 健常者であるマルコの方がたくさんのものを受け取り成長したのかもしれない。メンバーのロランはスペイン代表で金メダルを取ったことがある(健常者が替え玉でプレイした咎でメダルを返上させられた)選手なのだけれど、試合を見学していての台詞も印象に残った。
普通とは何か?ということ
  • 「区別」と「差別」について考える。言い方を変えるだけでは表層的だ。その言葉を使われた側が差別と感じたならそれは差別なのだ。意識を変えるには、いや無意識のうちに変わっていくということは、互いに個として交流し理解を深めていく中で起こるのだろう。そうなるためには私たちは断絶されていると感じるし、自分から踏み出してみようと思えた良作だった。